「東京はせわしないでしょ?こっちは博多時間やけん、遅れて怒られるのはマージャンの時くらい」東京から来たことを告げると、タクシー運転手さんがどこか誇らしげに話し始めた。「博多時間」とはもとは約束時間にわざと遅れる習慣のこと。今では時間にだらしないとの意味で使われることが多い。
江戸時代、なかなか会合に来ない客に使いの者をやったが動く様子がない。八度目の使いの途中でようやく向こうから悠長に歩いてきた。「博多時間」が別名「七度半」と呼ばれるゆえんだ。もっとも、来客準備に追われる相手を思いやりわざと遅れたとする説もある。
この習慣を博多人気質の象徴と解説するのは博多の歴史・風習に詳しい武野要子・福岡大名誉教授。博多人は「一見豪胆だが非常にシャイで細やかな心の持ち主」なのに加え、「博多が日本最古の港湾都市だという誇りを持ち続けている」わざと遅れることで貫禄を示し自尊心を満たしていたようだ。
支店経済で潤う現在の博多は他地域出身者でいっぱい。しかしルーズな時間感覚は根強く、長崎県育ちの武野氏自身も取材対象の人に何度も約束をすっぽかされて悩んだという。長年の博多研究で分かったのは「それが悪意ではなく照れ隠しだということ」いったん懐に入れば驚くほど親切なのも博多人の特徴、と付け加えた。
九州で今一番注目を集めている産業と言えば、自動車関連企業。日産自動車やトヨタ自動車、ダイハツ車体など完成車メーカーが続々と北部九州に進出し、関連部品メーカーも相次いで参入している。九州での自動車生産台数の能力は年100万台を超え、「カーアイランド」と呼ばれるまで存在感が高まってきた。
九州経済調査協会の調べによると、2000年以降、九州の自動車部品工場の新規立地件数は50件を上回った。日産自動車九州工場(福岡県苅田町)の稼働を機にした1970年代後半(36件)と、トヨタ自動車九州(福岡県宮若市)の操業開始と日産九州工場の増設が重なった90年代前半(95件)に次ぎ、現在は第三次ブームとも言われる。
九州で集積が進むのは「人材確保」「物流」「調達」の面でメリットがあるためだ。トヨタグループの拠点である愛知県では有効求人倍率が1倍を超えているのに対し、福岡県などは1倍を下回り、人手を確保しやすい。新北九州空港や高速道路の整備も進み、輸送面での効率化も期待できる。鉄や化学品など自動車生産に不可欠な資材を調達しやすい環境でもある。中国など経済成長の続くアジアへの本格的な輸出をにらみ、アジアに近い地の利を生かそうとの戦略もある。
課題は地場の部品産業をどう育成するかという点。完成車メーカーが地元企業から部品を購入する割合を示す「地場調達率」は現在5割程度とみられる。これはトヨタのおひざ元である中部地区などから進出してきた部品メーカーの分も含めた数字で、「純粋な地元資本の企業からの割合はせいぜい2~3割では」との声がもっぱら。
福岡県は09年度までに北部九州で年150万台まで生産能力を引き上げる計画を新たに打ち出したが、経済波及効果を最大限に引き出すためにも、地場産業の活性化策が不可欠といえる。
九州でビジネスに関わるならぜひ、覚えておいた方がいいキーワードが「七社会」。親睦が名目の任意団体だが、九州を舞台とした大きな政治・経済プロジェクトは「この七社会抜きには前にも後ろにも進まない」とも言われるほどで、節目節目で、その意向が取りざたされる。
正式名称は「互友会」。始まりは1950年代で、「寄付金の分担などを相談していた」(鎌田迪貞九州経済連合会会長)。文字通り加盟企業は七社。九州電力、西部ガス、西日本鉄道、九電工、西日本シティ銀行、福岡銀行に九州旅客鉄道(JR九州)を加えた七社で、いずれも公益企業であることが特徴だ。
負担金の分担割合は企業規模に応じて30~10%が基本のようだ。「意思決定機能があるわけではない」(鎌田九経連会長)が、95年のユニバーシアードや九州・沖縄サミット(主要国首脳会議)関連の寄付、2011年開業を目指したJR新博多駅ビルの開発など九州のビッグプロジェクトに大きな調整能力を発揮、地域経済発展に向け一本化に力を尽くしてきた。
2004年のソフトバンクによる福岡ダイエーホークスの買収騒動の際には、ソフトバンクの孫正義社長と中洲で飲食する機会を持ち、孫氏と加盟社の代表らが意気投合。ホークスの応援歌を歌いながら、交流を深める一幕もあったという。
製鉄所で普及など、ルーツ諸説あるが「ご安全に!総務グループです!」とある製鉄所に電話をかけると、こんなあいさつが返ってくる。一般には聞き慣れないが、北九州市の重厚長大産業や港湾などで働く人たちは、ごく自然に「ご安全に!」の合言葉を使う。
高炉から流れ出るしゃく熱の溶鉱、鉄の塊から鋼板などを造り出す巨大なプレスやローラー。製鉄所ではちょっとした油断が重大事故につながる。「ご安全に!」は互いの注意力を呼び覚ますとともに、互いの安全を祈るあいさつだ。
地元プラントメーカー、高田工業所の社史では、「昔から八幡製鉄所内で交わされていた合言葉」と紹介されている。が、同製鉄所の広報担当で製鉄所の歴史にも詳しい入佐純一さんによると、「製鉄所で生まれた言葉だと証明する資料は見当たらず、炭鉱が発祥だという説を聞いたこともある」という。
同製鉄所の所報のバックナンバーを調べてもらうと、1968年の2月に「ご安全に!」のステッカーを従業員に配り、家庭でも声を掛けるよう呼び掛けた記事かあった。その前の号には対談の中で幹部が「”ご安全に”にはなれましたか?」と所員に聞くくだりがあり、この時期に組織的な普及活動があったのは間違いない。
ルーツがどこかは別にして、当時三万人を超える従業員を抱えていた同製鉄所が「ご安全に!」を広める原動力になったのは確かなようだ。